この写真に写る宇宙飛行士は、ブルースマッカンドレス2世宇宙飛行士が人類で初の命綱無しでの宇宙遊泳を行った有名な写真のイメージを引用しています。
この様に誰もが共通で持っているイメージを引用する手法をシミュレーショニズムと言います。
スペース(SPACE)という単語には「宇宙・場所・空間」の意味がありますが、 私たちの日常生活ではスペースを”地球上”にある「場所・空間」の意味として多用しています。 しかし、そこにもし宇宙飛行士が浮遊していたら、そのスペースの意味はどうなるのでしょうか? 私たちがイメージする宇宙飛行士の姿は宇宙と紐づけられ、スペースと言えば宇宙以外を連想する人はいません。 故に、あらゆる日常のスペースに重力の存在を忘れた宇宙飛行士がいる、それだけでそのスペースの持つ意味が曖昧になってしまうのです。 そこは本当に宇宙(SPACE)なのか地球の場所(SPACE)なのか。 その境界線は破壊され、私たちに違和感を与えます。
ですが「宇宙と地球の境界線が無くなっていく」という意味においては、現実の宇宙開発の到達点と言っても過言ではありません。 今は宇宙飛行士が日常にいる事がシュルレアルな状況だったとしても、未来では宇宙は特別な場所では無くなり、誰もが当たり前のように宇宙服を手にし 日常使いする事も想像できます。 その時、私の作品が持つデペイズマンは消失し、ただの日常写真へと変貌します。 私はコレをSPACE=SPACEと名付け、宇宙開発がもたらす未来を称賛するものとして表現しています。 (この写真は合成ではなく、実際に宇宙飛行士を現地で撮影しており、そのスペースにいる実在性をより強調させます。)

 2020年代は民間の宇宙開発が勃興し。宇宙旅行者として前澤友作さんがISS(国際宇宙ステーション)に滞在したのは 記憶に新しいでしょう。 更に「アルテミス計画」と言うアポロ計画以降、半世紀ぶりに人類の月面着陸を目的としたプロジェクトが既に始まっています。日本人宇宙飛行士がアメリカの次の人種として月面に降り立つ事が正式に決定もしております。 その成功後は月面に基地を作り、そこを中継として火星にまで人類のフロンティアを広げようとしています。 私たちにとって、宇宙が日常になるという未来は決して絵空事では無いのです。
 1960年代前後における宇宙開発(実質アメリカの意味として)は公民権運動や、ベトナム戦争の流れでアポロ計画もその批判の対象であり、美術史においてはあまり歓迎される出来事ではありませんでした。 現在も宇宙開発は資本主義的問題やナショナリズムの側面での批判は多くありますが、もはや21世紀の人類がインターネットや工場で作られたスマートフォンに疑問を挟む余地もなければそれを手放す気概もないように、宇宙開発=テクノロジーと結託し、進歩に対して嫌悪感だけでなく純粋なワクワクとして未来を描いて欲しいと期待しています。
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